リンク: 「今のアニメはコピーのコピーのコピー」「表現といえない」 押井守監督発言にネットで納得と逆ギレ - 速報:@niftyニュース.
なんだか、侃々諤々らしいけど。
これ、結局のところ、制作側の問題だと思うんだよ。
コピーのコピーのコピーしかできないったって。
コピーのコピーのコピーも、今、観てる子たちに
とっては、初めて観るもので。
ヤマトの焼き直しじゃん、と言ったところで、今、
観てる子たちは、ヤマトを知らないんだから、
んなこと言われても……って話になる。
一方で、売れたモノが乱造されるのも事実。
アニメだけでなく、小説も映画も漫画も、いつの
時代も、この流れに潰される。
商売だから、仕方ねーじゃん、という意見はある
けれど。
商売だからこそ、愚かだな、と思える行為。
本来、今、○○が売れてるから、次を見越して、
△△、□□を作ろうぜ、
というのが、商売のあり方だと思う。
当然、ブームに追随して、小金を稼ぐやり方も
あるけれど、それだけでは食い合って終わる
ことくらい、自明の理。
昔は、どちらもあったので、○○が衰退すると
△△や□□が出てきた。
それで、循環してた。
けど、今はどーだい?
○○をよってたかって食いつぶした後、さて
どうすんべ? と、右往左往する始末。
結果、余力もなくなって、○○にしがみつき、
髄まで吸い尽くして、終わり。
要するにね。
商売の考え方が、とても、狭窄してるように
思うんだよ。
今売れてるモノは、今がピークで、いずれは
売れなくなる。
だから、次に備える。
当たり前の話なのに、数字だ、目先の銭だ
と、もっともな理由を付けて、新しい芽に投資
することなく、潰していく。
こんな状況じゃ、コピーの乱造も止まるわけないし
新たな創造もできるはずなかろう。
そもそも、制作の場から、いろんなものを提示
していないのに、それを知れ、というのは酷。
いろんなモノが提示されていない状況で、
そこからコピーでない新たなものを作れ、と
喚いたところで、知の原資が圧倒的に足りて
いないのに、無理な話。
若い子らは、わしらがかつて観倒したものを
知らず、新しいものとして出してくる。
それも、さもありなんでしょう。
知らないんだから。
押井さんらが言ってることは、もっともなんだ
けども。
だから、こうしなきゃってのが、まるでない。
批判するなら、銭持ってるんだから、そうした
創造の狭窄が起きない環境を、こうした力を
持ってる人らが、率先して作るべきではない
のかね?
とも思う。
多種多様な創作物が、世の中に出回ってない
ことが、この事態を招いてる。
と、わしは思うよ。
わしらん頃は、もっといろいろあったもの。
そのいろんなものを土台にして、いろんな方向
に進んでる。
今の子らには、それがないよね。
土台とすべき種がなさ過ぎ。
そら、発想も同じようなものになるよ。
それは、提示してない側の問題であって、
若い連中を批判したところで、始まんない。
創る者なら、そのくらい知ってろ、と言う人も
いるけど。
いやいや、わしらん頃は、んな苦労しなくても
いろいろあったもの。
わざわざ勉強しなきゃなんねーって、おかしく
ないかい?
そうした論は、一見、もっともらしく聞こえるけど、
とてもずれた話だと思う。
ホントに、創作の場を復活させたいなら。
売れなくても、ジャンルだけは多種多様に創り
続けなきゃダメだよね。
世の中に提示してやんないと。
ないものを買えだの知れだの言ったところで、
そら、無理ですぜ。
そうしないと、同じものばかりになるどころか、
次に続く新しい発想も出てこない。
当たり前の話なんだけど、当たり前のことが、
今は否定される時代。
思想だって、何だって、同じこと。
多様性がないと、土台ができないんだから、
そこから新しい何かが生まれるはずもない。
知がありすぎるように見えて、今は、ホントの
ところ、知の原資がとてもなくなってる時代だと
わしは、感じてる。
情報が少なかった時代は、ある一つの情報を
大々的に流せばよかったけど。
今は、情報が多いだけに、一方向へ流すため、
他の情報を消していくようにしてる。
ある種の情報統制の中で、わしらは躍らされてる。
やな世の中だ。
作り手もファンも、細々したことで言い合って
たって、仕方がない。
創作物って、本来はもっと楽しいもので、その
楽しさを知って、オレもやってみてー、と、夢を
抱くものなんだから。
現状を嘆くなら、そうした環境を、自分らのできる
範囲で作っていくしかないんだろうな。
まあ、わしにできることがあるとすれば、若い連中に
昔の○○はおもろいぞ、と伝えることくらいなんだ
ろうけれど。
それでも、しないよりはマシだろうな。
と、この手の話を見聞きするたびに思う。